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長野エルザSCを応援する様になるまでの話

 今日はトップチームが休み番で試合が無いのでなんとなく自分語りを。長文ですので暇つぶしにどうぞ。

 子供の頃キャプテン翼のアニメが好きでよく見ていたけれど,運動は苦手でサッカーそのものには興味が無かった。でも,サッカー部の顧問だった中学の担任が『来年からサッカーのプロリーグが始まるぞ』なんて嬉しそうに話していたのは妙に印象に残っている。翌年,高校入学と同時にJリーグが開幕。信毎の特集記事に全チームの選手名鑑があったので眺めていたら1人だけスポーツ選手とは思えない長髪の選手が載っていて,それまで自分が描いていたスポーツ選手像とあまりにかけ離れていたので物凄いインパクトだった。それが横浜フリューゲルスのGK森敦彦選手。森選手は長髪を束ねてバンダナ巻いた姿で試合に出場していて格好良かった。それでなんとなくフリューゲルスが好きになって,でも毎試合テレビ中継がある訳でも無いから時々試合結果を気にする程度だった。

 その頃サッカー好きの同級生に時々サッカー雑誌を見せてもらっていた。彼はJリーグではなくJFLのPJMフューチャーズを応援していてそこで初めて下部リーグの存在を知った。当時のJFLは2部制でJFL1部をJ1・JFL2部をJ2と呼んでいた。J2には東邦チタニウムがいてその名前からキャプテン翼の東邦学園を連想して『日向君いるかな?』なんてバカな事を言っていた。残念ながら東邦チタニウムはこの年地域リーグへ降格,JFLより下にも地域リーグというなんだかよくわからないリーグがあるんだと知った。10年後,この『なんだかよくわからないリーグ』にどっぷりハマるなんてこの時は思いもしなかった。

 で,なんとなくフリューゲルスや下部リーグに興味はあったけどそこまでハマる事も無く,Jリーグブームが落ち着くと時々代表戦で盛り上がる以外は関心も無くなって何年か過ぎた。そして1998年秋,横浜フリューゲルスが横浜マリノスへ吸収合併されると報じられ『え,フリューゲルス無くなっちゃうの?』とショックを受けまた関心を持ち始めた。反対運動もあったけれど決定は覆らず,1999年元日を最後にフリューゲルスは消滅してしまった。

 フリューゲルスが無くなってJリーグも2部制に移行,J1/J2という呼び方が2部制だった頃のJFLそのままだったのでしばらく違和感があったけれど,Jリーグに参加しなかったチームで新JFLもスタートすると知った。そこにフリューゲルス存続運動をしていたサポーター達が立ち上げた横浜FCも特例で参加する事になり,これは応援しなければと自分のホームページで試合結果を取り上げたりした。この時は横浜FCがいつか新生フリューゲルスとしてJリーグに戻れるかも知れないと期待していた。当時は都内の専門学校に通う為上京して横浜に住んでいたのだけれど生来のインドア志向もあって観戦には行かず,横浜FCを応援していると言いつつホームページを見て結果に一喜一憂しているだけだった。当時はそれで満足していたが,今思えばせっかく近場で試合をやっていたのに勿体無い話だ。

 横浜FCは強かった。現在YSCC横浜の監督を務めているエースの有馬選手がゴールを量産,名門本田技研を抑えてJFL優勝を果たした。シーズンが終わる頃には横浜FCとフリューゲルスは別物だという感覚が強くなり,Jリーグを目指して下部リーグで頑張る事に魅力を感じる様になってきた。横浜FCなら来年もJFLで優勝してJリーグへ行くだろう。就職の為長野に帰る事が決まっていた1999年秋,長野にもサッカーチームは無いのかと気になり始めた。

 ここで高校生の時に雑誌で読んだ『なんだかよくわからないリーグ』を思い出した。J1の下のJ2の下のJFLの更に下にある地域リーグ,調べてみると長野県は全国に9つある地域リーグの中の北信越リーグに該当するらしい。そして地域リーグの情報をまとめているサイトを見つけた。Football Information of Japan,ここで初めて『長野エルザ』の存在を知る。このチームが一体何者なのか判らなかったけれど,生まれ育った地元『長野』を冠したチームがある事が嬉しかった。しかし順位表をよく見てみると最下位で青く塗られている…これはもしや…と,悪い予感が的中。長野エルザはJ1の下のJ2の下のJFLの更に下にある地域リーグから,もう一つ下の長野県リーグへ降格が決まっていた。ピラミッドの最下層だと思っていた地域リーグの下にまだリーグがあったのだ。

 なんと言う事だ。せっかく見つけた地元チームが長野県リーグに降格,しかもネットで幾ら調べても長野エルザの情報も長野県リーグの情報も見つからない。地元のサッカー情報に明るい知人も居ない。途方に暮れていたある日,何気なく信毎を眺めていたらスポーツ欄に長野県リーグの試合結果が載っていた。チーム名とスコアが1行載っているだけの本当に小さい記事だけど,当時得る事の出来た唯一の情報源だった。試合日程が判らないからとにかく信毎を毎週チェック,試合結果を元に順位表を書いて楽しんでいた。相変わらず長野エルザが何者なのか判らなかったけれど試合は連戦連勝,全勝で長野県リーグを優勝して北信越チャレンジリーグなる物も勝ち進み,1年で北信越リーグ復帰を果たした。この年,横浜FCは予想通りJFLを連覇してJリーグに昇格したが思ったほどの感慨は無く,それより長野エルザの北信越リーグ昇格が嬉しかった。

 翌2001年に長野エルザのホームページが開設され,ようやく長野市を拠点にJFL昇格を目指しているクラブチームだと判った。長野にJリーグは無理だけどせめてJFLのチームがあったらいいな,と思っていたのでJFL昇格を目標に掲げている事が嬉しかった。以降,時々ホームページを見ては試合結果と順位表を追って楽しむ日々が続いた。

 そんな感じでまったりのんびり楽しむ事数年。2004年夏,ふと新聞を見るとテレビ欄に長野エルザの文字が。何事?と思って見ると長野県サッカー選手権の決勝戦をNHKで生中継するらしい。今まで文字と写真でしか見ていなかった長野エルザの試合が見られるのかとテレビ観戦,日精樹脂工業に勝って初優勝を果たしたが正直試合そのものは良く覚えていない。ただ時折映るサポーターを見て『これちょっと楽しそうかも。いいな。』と思ったのが印象に残っている。当時長野エルザの試合は観客が300人ぐらいでゴール裏サポーターも数人だったと聞いている。選手権の決勝はテレビ中継もある晴れ舞台だからもうちょっと多かったかも知れないけれど,それでも今の感覚からすればかなり寂しい規模だ。でも当時は観客が300人も入ってサポーターが居るし盛り上がってきたという雰囲気で,後日そういった論調の好意的な新聞記事が載ったりもした。それまで試合結果と順位表だけ追って楽しんでいて,現地で観戦する事なんて全く考えていなかったので『Jリーグでもないのに試合会場が盛り上がっている』と言うのはカルチャーショックだった。

 そして迎えた2005年,後援組織のアスレながのが設立され長野エルザはJリーグ入りを目標に掲げた。東和田で迎えた北信越リーグの開幕戦では600人以上の観客が集まり,南長野で行われたホーム第2戦では遂に1000人を突破した。気になるから見に行きたいけどこれまで全く現地観戦した事が無いし敷居が高くて…と思っていた所での1000人と言う数字は相当なインパクトで『これはもうとりあえず一度行ってみよう。ちょうど免許更新に行くから会場も近いし帰りについでに寄るだけ。よくわからなければそのまま帰ってくればいいや。』と初めて観戦したのが第4節の新潟経営大学戦,このブログの最初の記事となった試合です。

 それから10年。長野エルザはAC長野パルセイロに改称しJFL昇格を経てJリーグクラブとなりましたが,自分にとってそれより大きな出来事はそれまで全くサッカーに関心の無かった両親がいつの間にか自分より熱心なサポーターになって私設応援団を立ち上げた事と,その応援団がご縁で嫁さんに出会った事でしょうか。人生何がどう転ぶかわからない物です。これからも家族でパルセイロを応援していきます。


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